誰の。

また夏がやってきたよ。7月になってからは、弟の水泳の話で持ちきり。何m何秒で泳げるようになった、選手に選ばれた、タイムが縮まった・・・、頑張ってる弟やそれを応援してる家族を見てると、自分も負けていられないなと思う。いや、性格的には"負けたくない"っていうのが強いかもしれない。姉は大学に無事入学。毎日忙しい日々を送ってる。妹だってまだ荒れ気味だけども、なんだかんだ言ってバイトは遅くまでしっかりやっているし、高校に行かない"代わり"をちゃんと見つけてきてる。あとは僕だけなんだよな。3年前から時間が止まってるのって。言い訳なんてできないんだよもう。まだ高一だからなんて言ってた自分はもう高二。まだ高二・・・とでもふざけるつもりか?。自分を追い込めないでどうやって変えるんだよ。期限切れの宝くじ持って、いつか変わるいつか変わる、そういうことをしているのが今の自分。自分自身が動かないで変わるわけないだろ?。誰の人生だよ。誰が生きてるんだよ。他人は自分の人生には介入できないんだよ。もううすうすわかってるだろ・・・・・

思考

今日は、スイミングスクールに通う弟が、地方のテレビ局主催の水泳大会に参加するということで、父母と一緒に観に行った。もう夏だなと思うほどの暑さだったけど、野球をしてたこともあって、あまり気にならなかった。会場はさすが県庁所在地(変な例えだな)にあるだけあって、広いデカイ、沢山の小学生とその親御さんで熱気ムンムン。弟のレースが始まったのは、僕らがそこに到着して席に座った頃のこと。慌てて母さんが撮影しようとしたけど、半分くらいしか映せなかったみたい。それからはボーっと弟の同級生らの泳ぎを見たりしていた。


弟の泳ぎのことはさておいて、というと話が逸れるけれど、なんだかいろいろと考えさせられる部分が多々あった。弟やその同級生らが頑張って泳いでいるのを見ると、以前は僕も、運動音痴なりにああやって必死に汗流してやってたなぁと思ったりもしたし、もっといえば、「そういうことをしていた"過去"もあった」という思いが今置かれている現状と対比させ、本当にこのままでいいのかと自問自答させられる。外に出る度、どれだけ自分がちっぽけな存在かを認識させられもすれば、自分を変えたからといって現実が大きな動きを見せるわけでもないことも、薄々わかってくる。何かを変えるには、何かを起こさなければいけない。でも何かを起こしたからといって、必ずしも自分の理想に近づくわけでもない。むしろ、何も変わっていないことに悲嘆することもある。もうどうすればいいかわからなくなってきた。前に進まなければならないことはわかる、後ろに道はないから。でも、本当に前には道があるんだろうか・・・。

漢検

2級の試験が22日にあります。正直まだ全然進んでいないのですが、いつもこうやって追い詰められてからしか動けないので丁度良いのかもしれません。中学の頃もテストの二週間前から対策し始めたのはほとんどなくて、いつもいつも一週間前、3日前、前日、と近づくにつれてどんどん勉強時間が増えていました。だから毎回ギリギリです。まだ確認できてないところがあるっていう状態で当日を迎えて、試験開始の直前まで教科書を手に必死に復習していたように思います。だけどこんな感覚でいつまでも通用するとは正直思えません。いつか大きなしっぺ返しが来そうです。気をつけます。


それにしても、暗記はなぜか得意です。たぶん頭が空っぽなんだと思います。小学校の頃なんて、野球クラブに入っていたとき敵チームのキャプテンや知り合いの名前を自分だけ知らないということもありました。目が悪かったこともあるとは思いますが、それ以上に覚える気がなかったんだと思います。そういうことを考えているとなんとなく、「覚える」っていうことをあまりしてこなかった分、こうやって覚える機会があるときに頭に入りやすいのかなーなんて。でも暗記はやっぱり、退屈です。

毎日、毎日

友だちとの夢を見ます。一日に何度も見ます。今日は野球を通じて知り合った友だちと一緒にいる夢を見ました。昨日は小学校の頃から毎日一緒に遊んでいた親友との夢を見ました。その前の日は、中学になってからいろんなことがあって大の仲良しになった友だちと再会する夢を見ました。特に最後の夢は本当に3年ぶりに再会できたのかと思ってしまい、夢から覚めて少しの間は呆然としていました。


夢は自分自身の不安や希望、未来を映し出すと言われています。それなら僕にはまだ、友だちとの未練が残っている以上、やり直す、取り戻すチャンスがあるのかもしれません。夢は後悔させるために見せられるのではなく、後悔しないために見せるものだと思います。人間に不安があるうちはまだ、やり直せるのかもしれません。