幸福

自分のために高価なものを買って後悔することはあるけど、誰かのために買ったことで後悔したのってないんだよね。そりゃプレゼントしたものが大切にされてなかったときはすごくつらい。でもなんだか清々しい気持ちになれるよね。自分が好きになれるよね。自分の楽しいことが必ずしも他人にとっても楽しいこととは限らないけど、笑顔にさせようとした人が喜んでくれたときはやっぱりうれしいよね。本当の幸せってこういうことなのかもしれないね。

何故・・・

僕と同じような境遇に進んでいる友だちのことを、母親を通じて聞かされることがよくある。今日も一人、友だちの名前をきかされた。親友だった。思わず頭が真っ白になった。まさかあの親友が同じ道に入ってくるなんて思いもしなかった。これからはお互い、別の道を歩くことになると思っていた。


彼とは家がすごい近くて、小学校のときなんてたとえ夕焼けの眩しい時間に学校が終わっても、まだ一時間、まだ30分あるといって遊んでいた。夏休みになれば毎日一緒にぶらぶらと外に出かけた。学校に行くのも帰るのも遊ぶのも、いつだって一緒。特に用も無いのに、毎日インターホンを鳴らして遊びに来る。でもそれが当たり前な日常だったし、一緒にいる時間がとても楽しかった。


友だちっていうと、中学校にもなれば、学校でしか遊ばない人もそう表現をしたりする。でも彼とは本当に毎日一緒にいた。同じ時間を過ごした。僕一人で歩いていれば、彼はどうしたのと、きかれるぐらいの仲良しだった。だからこそ彼が今、不登校になっていることは信じられないし、信じたくもない。どうしてこうなってしまったんだよ。赤信号みんなで渡れば怖くない、って?こんなつらい境遇に進むのは自分ひとりで十分なんだよ。友だちは学校で楽しくやってる、それでいいんじゃないか。どうしろっていうんだよ・・・。

人間はどうして生まれるんだろう。

もし人間が物を食べなくても生きられるとしたら、みんなそれでもお金を稼ぐんだろうか。この世の物のほとんどはお金がいる。だからお金は沢山必要。でもよく考えてみて。お金を稼ぐために生まれてきたのかな。神様はこの世で好き放題させるために自分たちに生を与えたのかな。地球では自然災害があって、よく神の裁きだなんて言われたりもするけど、あながち間違っていない気もする。生を与えられた意味を知ろうとする心を放棄した人間へのある種の怒りなのかもしれない。馬鹿げていると思うのは簡単なこと、全てのことから意味を見出せないような人間にはなりたくないし、そういう人間と関わりたくもない。もし自分がたとえば砂漠のような土地しかないところで生まれていたとしたら、いったい何をするだろう、いったい何を見出すだろう。常識なんていう社会が人間が好きなように創った世界に囚われている限り、たぶん生を持った意味なんてわからないだろうな。

太陽だけでは生きられない。

ああなりたい、こうなりたい。そう思っているのにどうして真逆の行動を取ってしまうんだろう。今を変えるにはこうしなければいけない。それはわかってる。なのに甘い方に甘い方にいってしまう。絶対に将来後悔するとわかっているのに、行動を変えられない。


もっと自分を追い詰めないといけない。逆境があるからこそ生きられる、苦痛がわかるから些細なことからも喜びを見出せる、前はこんな苦痛から逃れたいとばかり思っていたけれど、本当にしあわせだけが残ってしまったらきっと生きていけないと思う。まだまだ自分はぬるい。