「他者を嫌う」ことは、「他者に嫌われる」のと同義なのである。

というのをきいた覚えがあります。他者という存在を嫌うということは、自分を好きになるなと言ってるようなもの、なのだそうです。また、自分から「嫌う」ことで、「嫌われる」のを未然に防ぎたい、という葛藤も垣間見えると言います。


これはつまり、自分が誰かを嫌うときというのは、本当にいやという気持ちがあってではなく(本当にその人が嫌いなのではなく)、その人に好かれたい=でも嫌われるかもしれない=嫌われて自分が苦しむくらいなら、いっそのこと嫌ってしまおう、自分から嫌おう、という一見矛盾しているような結論に至ってしまっているからなのだそうです。


難しい話なので、僕も正直完全に理解はできていません。だけどひとつだけわかったのは、「嫌う」ということは「嫌われたくない」ことの裏返しである、ということです。他者を嫌うのは簡単です。でもそれは「私はあなたが嫌いです、だからどうぞあなたも私を嫌って下さい」と言っているようなものなのです。誰かを嫌いになれば、それは無自覚であろうとなかろうと、「自分を好きにならないで」と他者を拒絶し、自分は好かれたいのに好かれない、ということになってしまうわけです。


(異性や同性などは関係なく)自分が好意を持っている相手に嫌われるのと、自分が嫌っている相手に好かれるのって、どっちが難しいでしょうか。それがわかれば、おのずと、やるべきことが導かれるはずだ、そう思いました。