当然の怖さ
昨日、今日と姉の大学受験でした。
そのことでお祖母ちゃんとさっき話してたんですが、
「塾にでも行ってたらもう少し上を狙えたのに」と言うんですよね。
そういえば両親もうつむき加減でそんなことを呟いてたり。
でも、それは違うんじゃないかなーと。
もちろん塾に行きさえすれば合格できるとかっていう
話自体が違うのは違うんですが、
それよりも姉のことをちゃんと思ってるのかがフシギになって。
姉って、兄弟姉妹の中では
今のところ唯一真面目に小中高をやり遂げたひとなんですよ。
僕が不登校、妹が荒れてしまったりという中、
ただ一人、「普通の小中高校生活」を送り終えたんです。
当たり前、当たり前ですね。
けど、僕たちから見ればそれは当たり前ではないんです。
それだけですごいんです。
つらい思いをして、必死にやり遂げた12年間というのを
本当に「当たり前」で片付けていいんでしょうか。
あって当然、居て当然、出来て当然。
なにもかも「当たり前」で終わらしてしまうことに
僕は怖さを感じます。
だって、
「当然」なものってだいたい失いますよね。
失ってから後悔しますよね。
全てのものに当然のレッテルを張るってことは、
それだけ「後悔させてくれ」と頼んでいるようなものですから...